KAL007 謎の逸脱ルート検証

 

プロローグ




1983年9月1日は大韓航空機の KE007便がアンカレッジ空港を離陸後、謎の逸脱ルートをたどり不幸にもサハリン近海にてソ連のミサイルにより撃墜された衝撃的な事件が起きた日です。
一般的に航空機事故の多くは墜落時の激しい衝撃と火災により、乗員乗客の死亡そして機体の破壊、更に焼失等事故原因の究明は困難を極めますが、過去に発生した事故の多くは懸命な事故調査により、主たる原因の究明がなされ尊い人命の犠牲のうえにも航空機の安全対策が一歩一歩築かれてきた事も事実であります。
しかしKE007の場合をみるに時の東西冷戦の狭間に迷い込み、ソ連戦闘機のミサイルにより撃墜された時点から単なる民間航空機事故の範囲を越え、東西冷戦の一角に組み込まれた事態へと一変した事が大きな違いであります。
しかるに調査も当初は原因究明の鍵を握るフライト・レコーダー、ボイス・レコーダーの解析すらも出来ぬままスパイ飛行説をはじめ様々な説が飛び交いましたが、その後東西冷戦の雪解けと共にフライト・レコーダーとボイスレコーダーが返還され、国際民間航空機関(ICAO)にて更なる調査が行われ、調査報告が発表されましたが、その報告の中でKE007が謎の逸脱ルートを飛行した原因について以下の様な分析をしています

離陸3分の後に磁方位245度にセット、その後自動操縦装置を磁方位維持モード(ヘディング・モード)のまま飛行したか又は慣性航法装置(INS)を自動操縦装置に結合(INSモード)するスイッチをセットしたが、この時 INS が設定しているルートより離れすぎていた為INS誘導装置が実際には自動操縦装置に結合されず、ヘディング・モードが継続された、そしてパイロットはこの事実の確認を怠るミスをした為航空機は INS装置による誘導ではなく、ヘディング・モードにより磁方位245度を維持した結果、逸脱ルートを飛行しサハリン沖の現場に至ったとの結論であります。

私はこの調査結果に対して次の様な疑問点が有ると考えます。
自動操縦のヘディング・モードは、単にセットした磁方位を維持するように誘導します、従って飛行ルート上に横風成分があると風下に流されてしまいます。
例えば出発点にて245度方向にある地点を目標地点として飛行しても、飛行中の機首方位は磁方位245度を維持しつつも、風下に流される結果目標地点に到達することは不可能です。
KE007の場合、磁方位245度をセットした時点にて、その245度方位の延長線上に撃墜された地点があるとしても、風下に流される結果、撃墜地点には到達しません(完全に無風状態ならば、到達の可能性はあります)、当時の気象状況での風は進行方向に対し、右方向からの風ですので航空機は風下の左方向にコースを外れるのが当然といえますが、実際には右方向にコースを外し、ソ連領域に入ってしまいました。
つまり、逸脱の要因として、へディング・モード説(磁方位245度維持)はあり得ないと考えます。

2番目の疑問点は、KE007は確実に必要な位置通報をしている事実です。
KE007の飛行ルートは、ほとんどが洋上飛行の為、飛行ルートを設定するのに必要な地上無線標識がありません、従ってINSコンピューターにルート上の経由ポイントを緯度と経度にて入力し、そのINSが表示する経由ポイントを確認する事で、位置通報を行います。
この経由ポイントは当然INSルート上を通過した時のみ確認可能となります、従って KE007が位置通報をしている事実は、この経由地を通過している事を示しています、仮にヘディング・モードの飛行ですと、当然INS経由ポイント上を通過しない為位置通報は不可能であります。

以上の二つの疑問点からKE007が航路を逸脱した原因は、ヘデイング・モードではなく、慣性航法装置(INS)エラーが原因で、逸脱ルートを飛行したのではないかと考えました。
つまりパイロットは正しいルート上の経由地点(ウェイ・ポイント)の緯度と経度を入力したにもかかわらず、INSは逸脱ルートになる様な計算をしたのではないかと仮定しました。
この仮定に基づくと当然KE007は逸脱ルートのウェイポイント上を通過しますのでパイロットは各位置通報地点でのレポートも可能となります、このルートは航法地上無線標識が無い為に、ルートが正しいかどうかを確認する手段が無い事もあり、パイロットは撃墜されるまで正しい航路と思い込み飛行していた考えることが出来ます。  
そこで、この様な慣性航法装置のエラーが原因で逸脱ルートを飛行し得るのか検証したのが、このレポートです、実はこの検証は8年も前に行ったのですが、改めて見直しまとめてみました、検証は、航路計算をプログラムし、パソコンにてシミュレーションしました。 
このシミュレーションを行うに当たり必要なデーターは柳田邦男氏の著者「撃墜」を使用させて戴きました、その後ソ連から返還されたフライト・レコーダーのデーターが入手可能であれば更なる検証をしたいと考えております。